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(前史)インクを吸うことが出来ない「インキ止式」

100年以上前、万年筆が発明された直後、万年筆のインクは、軸の中に直接入れていました。
現在主流のカートリッジ式の軸の中(カートリッジの中ではなく、軸の中です)に、直接インクを入れるようなイメージです。
このようなタイプのものを、「アイドロッパー方式」と称します。
以下の画像は、100年以上前のアイドロッパー方式万年筆の例です。

この当時の万年筆は、画像のように、キャップに穴が空いており、特にキャップ上部の穴が特徴的です。
当然この穴からインクは蒸発します。
キャップと言うより、筆のサヤのようなペン先保護カバー、といったような簡素なものです。
このアイドロッパー方式に、軸内からのインクの流出を遮断する装置を設けた、「インキ止式」という方式があり、日本で戦前主流の方式でした。送り仮名が付く「インキ止め式」のほうが日本語として正確ですが、伝統的に送り仮名がつかない「インキ止式」と呼ばれて来たので、当店では「インキ止式」と称することにします。
英語では、インキ止式を「The ink stopping function」と称しますが、海外ではインキ止式もアイドロッパー方式も、ともに「アイドロッパー」と呼ばれることのほうが多く、日本のように呼び分けることのほうが少ないです。
インキ止式は、現在でも、パイロットが高級品のナミキブランドで、高額蒔絵商品の軸として生産しています。
この方式は、後部つまみを引き出すと、3ミリほどの中芯が引き出されるため、後部つまみを引き出すことにより、注射器のようにしてインクを吸うのでは無いかと勘違いされることが非常に多いです。
しかし、実際は、吸引しようとしても、中芯を引き出すとき、中芯体積分ごく少量のインクが吸引されますが、中芯を戻すとき、吸引されたインクは再び軸内部から出てしまいます。
このため、インキ止式は往復動作をしても、インクを吸入することは出来ないのです。

M形吸入方式のポイント

では、一度吸ったインクを軸から出さないようにして、中芯を戻すときに、インクではなく、軸内部の空気のみを軸から外に排出させるような構造にすればどうでしょうか。
このような構造でしたら、中芯を往復するだけでインクを徐々に吸うことが出来るはずです。
これを、インキ止式で実現すれば、多くの方が想像しがちな、後部つまみの往復操作だけでインクを吸うことができます。
結果、この仕組みを実現させたのがM形吸入方式です。
首部分は、削りあわせのみで漏れを完璧に防いでおりますので、首を外して、軸内部のインクを排出させたり、スポイトでインクを入れて頂くこともできます。インク瓶の中のインク残量が少ない場合などに便利です。
軸内部にある程度インクが入っている場合、その時点で後部つまみを引き出せば、軸内のインクを排出することなくインクを吸うことができるので、結果として、「継ぎ足し補給」が可能です。
空気を排出させるために動作させている、吸入の核心となる部品はすべて軸のインクの中で動くため、気密低下による心配はありません。軸と中芯との間のパッキンにも、無用な圧力が掛かることも無く、後述のように他の吸入方式と比べても、極めて安定して動作します。
後述のように、様々な細部を改良し商品化いたしました。100パーセントに近い吸入など、現実的なメリットがさほど無いような内容も少なくないですが、考え抜いて磨き上げた吸入構造として、ご愛用いただければ幸いです。

開発の難所

軸から空気を排出させる構造について

軸からインクを吸うのは、中芯を引き出すだけですので、極めて容易です。一度吸ったインクを外に出さないようにするのも、軸内からのインクの流出するインキ止構造を応用すれば非常に上手く機能してくれます。
問題は、軸内部の空気を外に排出させる構造です。試作の末、まずは15ミリ程度の太さの軸で実現させることができました。しかし、18ミリなどの太い軸になると、どうも上手く機能しないのです。
太い軸になると、なぜ上手く機能しないのか、徹底的に調査し、部品の試作、寸法調整を施した結果、原因が判明し、ベストな寸法にたどり着きました。
この結果、太い軸でも安定して機能し、細い軸でもより安定して動作するような商品に仕上げることができるようになりました。

インキ止構造について

M形吸入方式は、後部つまみを閉めれば、軸内から、インクはおろか、空気圧も遮断できる構造になっております。この構造だからこそ特異な吸入システムが実現出来るようになりました。
この、後部つまみを閉めたとき、軸内からインクや空気圧を、完璧かつ安定的に遮断する構造が、なかなか実現出来ず、苦慮致しました。従来からのインキ止式と構造は類似していますが、格段に難易度が高いのです。
あるとき、安定的に遮断できる妙案を思いつき、試してみたところ、素晴らしい結果となり、商品化させることができました。この結果、長年の懸案だった、中芯のステンレス化も実現し、軸バランスがとても良くなりました。
軸と首の接合部分はパッキンを使わずに削りあわせのみで漏れを防いでいますが、このインクを止める部分も、パッキン等は一切使わず、伝統的な削り合わせ技術のみで気密を保っています。

満タンインクを吸わせるように向上

太い軸から細い軸まで安定して吸入できるようになったところで、完璧に、ほぼ100パーセント吸入できるように向上させることができました。
万年筆のインク吸入方式で、通常の吸入動作により満タン吸うことができる方式はほとんどありません。
内部の部品形状を様々な形状で試作した結果、何ら特別なことをすることなく、通常の吸入動作で、満タンインクを吸うことが出来る商品が完成致しました。
インク吸入後首を外して軸内部をみて吸入されたインクの量を目視していただければ、ほぼ満タン吸えていることがわかりますし、透明軸をお使いいただければ一目瞭然です。

M形という名称に込めた思い

M形の「M」という名称は、商号名の頭文字ではなく、開発当時、問題点を抜本的に解決する方法を見いだしたときのきっかけとなった出来事から付けました。
「形」は、長さを測定するノギスの最も標準的なタイプ、モーゼル形ノギス、略して「M形ノギス」、この「形」から取りました。通常「型」という表記がされることが多いですが、ノギスの場合、型ではなく形と表記されることが多いため、M形吸入方式も「形」としました。

ちなみに、型と形の使い分けとしては、一般には、一定の枠にはまった形式をもつものの意では「型」、物のもっている姿・かたちの意では「形」と書き分けるが、はっきりとした一線は画しがたいとのことです。
当店の商品は一定の枠にはまった形式と言うことも無いため、M形吸入方式は「形」のほうが合っているように思えます。

他の方式との比較

カートリッジ式との比較

カートリッジ式は、筒に入ったカートリッジを装着して使用する方式です。吸入器コンバーターを使用することにより、瓶からインクを吸入して使用することもできます。

カートリッジ式のメリット

カートリッジ式は、インクの補充が極めて簡便で、インクの持ち運びも容易です。
また、コンバーターを使用することにより、瓶からインクを吸入することができ、好きなときに、どちらにも変換(コンバート)できます。
カートリッジ式の軸は単なる筒(ホルダー)で、首部分にインク供給に必要な主要部品が密集しているので、壊れにくく、製造や修理が容易です。

カートリッジ式よりもM形吸入方式が勝る点

コンバーターは長く使用していると傷んでくることもあり、消耗品として定期的に交換する必要がありますが、M形吸入方式は耐久性があります。
また、カートリッジやコンバーターはインクの入る量が少ないです。インクがたくさん入ることはメリットではありますが、多すぎてもメリットばかりではありません。この点、M形吸入方式は、一般的な吸入方式並のインク量が確保できます。

ゴム復元力を利用して吸入する方式との比較

ゴム復元力を利用して吸入する方式は、軸内部にゴムチューブを装着し、ゴムチューブを何らかの方法でつぶし、その復元力でインクを吸入する方式です。

ゴム復元力を利用して吸入する方式のメリット

てこ式、レバーフィラー、軸後部をノックする方式、といったような非常に多くの商品が古くから存在し、操作方法もわかりやすいです。
ゴムをつぶす機構に損傷が無い限り、ゴムが入手できれば、交換することにより、容易に修理できます。

ゴム復元力を利用して吸入する方式よりもM形吸入方式が勝る点

M形吸入方式は軸内部のインクがスムーズに動き、インク吸入量もある程度の量が確保できますが、ゴムタイプでは、ゴム内壁にインクが付着して吸入したすべてのインクを利用しにくいことがあります。インク吸入量もそれほど多くはありませんし、継ぎ足し補給は不可能です。
ゴム復元力応用タイプは、ゴムの耐久力が鍵となり、特殊なゴムを利用する場合、その入手性が悪いと修理が出来なくなってしまいます。

インキ止式との比較

インキ止式は、首を外し、軸内部にスポイトで直接インクを入れる方式です。
軸後部にはつまみがあり、つまみを閉めれば、軸内部からのインクの流出は遮断します。
日本でかつて主流だった方式です。
M形吸入方式は、インキ止式を進化させたものです。

インキ止式のメリット

内部に吸入機構を有しないので、M形吸入方式よりもインクが多く入ります。
点滴の容器のようなものを使用すれば、スポイトを洗う必要がなく、手を汚すことなくインク補充が可能です。

インキ止式よりもM形吸入方式が勝る点

M形吸入方式はインキ止式のように首を外してスポイトで入れることも出来ますし、吸入もできます。インキ止式としての機能も完璧に有しているわけです。
スポイトなどが無い場合、インキ止式ではインクの補充できませんが、M形吸入方式ではスポイトがなくてもインクが補充できます。
インキ止式の首を強く締めすぎてしまって緩まない場合はインク補充できませんが、M形吸入方式では首を外す必要がないため、首が外れないようなことがあってもインク補充は問題なく可能です。
なお、インキ止式の派生形ともいえるM形吸入方式でも、首と軸はつなぎ目からインクが漏れないよう完璧にすりあわせておりますので、首を緩めたり外した場合、装着時はピタッと止まるまでねじを締めていただければインクは漏れません。首は必要以上にかたく締め付ける必要はありません。
インキ止式にスポイトで入れる場合100パーセント近い満量を入れると、首を装着するときに、ねじからインクがはみ出ることがありますので、8分目くらいまでにとどめておくことが推奨されますが、M形吸入方式は容易に満量の吸入が可能です。

ピストン吸入式とM形吸入方式を比較して

ピストン吸入式は、後部つまみを回転させると注射器のピストンのような弁が軸内を動き、インクを吸入する方式です。
歴史も古く、海外の万年筆で多く見られる方式です。パイロットでは、カスタムヘリテイジ92がこの方式を採用しています。

ピストン吸入式のメリット

注射器ピストンと同じような感じで吸うため、吸入メカニズムがわかりやすいです。
海外製万年筆に多く見られる方式で、各所で紹介されており、有名メーカーのほとんどがハイエンド商品の吸入方式として採用している方式のため、なじみ深く絶大な人気です。店頭での商品説明や販売も容易です。

ピストン吸入式よりもM形吸入方式が勝る点

ピストン吸入式は軸内部インクの入る部分の一番背後に吸入するピストンがあるため、ピストンが劣化したり潤滑が悪くなったり軸内壁が傷ついたりしてピストンの気密が悪くなると、ピストン背後にインクが漏れてしまいがちです。このため、ピストン吸入式は漏れは絶対に起きないように管理が必要となります。
M形吸入方式は、インク内部に吸入構造部品が配置されており、吸入機構からインクが漏れるような心配は無用です。インク内部にあるM形吸入構造部品は、エボナイトの特性を生かした摺動構造となっており、潤滑は不要です。
ピストン吸入式では、ピストンの潤滑は必須で、潤滑が悪くなると、ピストンの動きが硬くなってしまうことがあります。インクにさらされる軸内面を潤滑するため、適切な潤滑剤を使用しないと、潤滑剤の油分がインクやペン芯に混じってしまい、毛細管現象を悪化させてしまうことになって、インク出が悪くなってしまいます。
ピストン吸入式はペン先を下にした通常の吸入状態で継ぎ足し補給は出来ません。
構造上ピストン吸入式は100パーセント近い満量を吸うことは困難ですが、M形吸入方式は可能です。
吸入前、注射器の空気を抜くように、ペン先を上にして、後部つまみをゆっくり回し、軸内の空気のみ排出し、その位置から吸入を行えば、ピストン吸入式でも継ぎ足し補給や満タンの吸入は可能と言えば可能ですが、M形吸入方式は単に通常の吸入動作を行うだけで、継ぎ足し補給や満タンの吸入が可能です。

プランジャー式とM形吸入方式を比較して

プランジャー式は、インキ止式と同じ外観構造で、軸内部にピストンが配置される方式です。
M形吸入方式がインキ止式の派生形とするならば、プランジャー式も、インキ止式の派生形です。
戦前、イギリスのオノト万年筆がこの方式を採用しており、歴史も古いです。パイロットでは、カスタム823がこの方式を採用しています。

プランジャー式のメリット

ピストン吸入式や一般的な注射器とは反対の動作で吸入し、吸入動作も素早いため、吸入音と動作メカニズムが群を抜いておもしろいです。特に透明軸で吸入動作を見ると、一気に吸う様は、とても見応えがあります。
また、軸内部にあるインクを素早く、一気に排出できます。
プランジャー式ほど吸入時や排出時の動作が素早い吸入方式は他には無いです。

プランジャー式よりM形吸入方式が勝る点

プランジャー式は構造上100パーセントに近い満量を吸入することができません。何度か吸入動作を繰り返しても吸入量は大して変わりませんし、吸入動作を繰り返すと、その都度吸ったインクのすべてを排出し再吸入ということを繰り返しており、少しずつ吸入していくM形吸入方式とは根本的に異なります。
プランジャー式は継ぎ足し補給ができないことはないですが難しいです。M形吸入方式は、継ぎ足し補給が極めて容易です。
プランジャー式は、一瞬で吸入するために多大な負圧を利用することから、後部つまみの吸入動作が少し硬くなりがちです。また、吸入ピストンの動く軸内面の潤滑も必要な場合が多いです。M形吸入方式は、インクを吸うのに引き出した中芯の体積変化を利用するだけですので、後部つまみの吸入動作がプランジャー式ほどは重くなりませんし、吸入機構の潤滑も不要です。
プランジャー式は一瞬ですべてのインクを吸うため、吸う瞬間、首軸端面はインクに浸っていなければなりません。浸っていなかった場合は、再度吸入ことになります。また、吸入動作の際、PILOTのINK-70ボトルのようなものを使わないと、後部つまみを一気に軸に戻すため、ペン先先端をインク瓶の底に当ててペン先を傷めてしまう恐れがあります。
M形吸入方式は後部つまみの往復動作により、何回かに分けて吸いますので、往復動作時、液面に首軸端面が浸っていないときがあっても、再び液面に首軸端面を浸して吸えば、問題なく吸入し続けることができます。何回かにわけてゆっくりと動作させ、後部つまみを引くときだけ液面に浸していれば大丈夫なので、瓶の底にペン先を当てる心配は少ないです。
プランジャー式は、インクが入っている状態でうっかり後部つまみを引き出してしまうと、後部つまみを戻すときにインクが出てしまい、それを防ぐ方法がありません。外出先などで間違えて引き出してしまうと大変に困ってしまいますので、プランジャー式はインクが入っている状態では吸入時以外絶対に後部つまみを引いてはなりません。パイロットのプランジャー式万年筆であるカスタム823は、うっかり引き出すことが無いよう、ストッパー構造となっています。M形吸入方式はインクが入っている状態でうっかり後部つまみを引き出しても、ペン先を上にして後部つまみをゆっくり戻せば、インクがペン先から出てくることはありません。

プランジャー式も軸内部のインク内にピストンがありますので、ピストンの気密低下によりインクが漏れることはありませんが、一回の吸入動作ですべての量を吸入する構造のため、ピストンの気密が悪化すると吸入量が減ってしまいます。
また、軸にインクなどの液体が入っている状態で後部つまみを引き出すと、ピストンがインク中に潜り、引き出している最中、軸最後部のパッキンに圧力が掛かり、インクを漏らせやすくなることがあります。
もっとも、これは設計次第で、パイロット823などはこのようなことが起きないように考慮された設計になっております。M形吸入方式は、後部つまみを引っ張っても、軸最後部の中芯パッキンに一切の圧を与えません
適切に首をすり合わせて修理したオノトなどのような首をゆるめることができるプランジャーはインクをスポイトで入れることもできますが、軸入り口に配置されてある大きな吸入弁が邪魔となりインクが入れにくいことがあります。
軸設計次第とはなりますが、この吸入弁がインク出を妨げることがあります。
M形吸入方式は、中芯弁の太さもダイレクトタイプと同じですので、首を外してスポイトで直接容易にインクが補充できますし、インク出についてもインキ止式と同様、中芯弁が邪魔になることはありません。

さらに詳しく
なぜインクを止める装置が必要なのか
インクを止める部分をAT車に例える話

インクを遮断する構造の実際

ところで、インキ止式や、M形吸入方式には、後部つまみがあり、後部つまみを締めれば、軸内からのインクの流出を止めることができます。この止めることが出来ることから、「インキ止式」という独特の名称が付されています。後部つまみを締めれば、軸内部を通った中芯の先端の弁がペン芯の最後部となる首の入り口を閉鎖し、軸内部からのインクの流出を遮断させることができます。軸内のインクはおろか空気圧すら漏らしません。
完璧に作るのは様々なテクニックを要する方式で、他の方式以上に製作には独特の配慮が必要になります。この空気圧を漏らさないところを確認する過程が、完成検査のいちばんのだいごみです
後部つまみは、第二のキャップともいえる安全装置の一つです。
このような構造は、一見簡素ですが、ゴムパッキンなど使用せず、削り合わせ技術だけで完璧に遮断します。
インクを遮断する後部つまみがあることから、筆記時はキャップのみならず、後部つまみも緩めたまま使用する必要があります。
この点、

万年筆はキャップを外した瞬間から最後の一滴まで書けるものと定義され、使い始めに後部つまみゆるめる必要がある筆記具を万年筆と呼ぶには抵抗がある

というご意見もございます。
この、筆記時に後部つまみを緩める動作が必要な万年筆は万年筆ではないというご意見については、後部つまみは第二のキャップのようなものなので、キャップを外すように後部つまみもゆるめるとインクは最後の1滴まで完全に流れるならば、万年筆の定義から何ら逸脱するものではないのです。
使うときにいちいちゆるめなくてはならないので面倒、ということかもしれませんが、万年筆を使うたびにキャップを開けなければならないのが面倒ではないのと同じレベルの話で、後部つまみの開閉は面倒とまでは言えないと思います。
重要なのは、後部つまみをゆるめれば、インクが最後の1滴まで、間断なく流出することです。インキ止式やM形吸入方式は、前述の首入り口を閉鎖してインクを止める部分が一つの関門となり、インクがスムーズに流れないものがとても多いのです。このため、インキ止式は、軸を振ってインクを出しながら使うものである、とか、後部つまみを使ってインクを押し出しながら使うなどと言われて来た経緯があります。
インキ止式の後部つまみの操作は、水道の蛇口のように、後部つまみの緩み加減でインクの量をコントロールするようなものではありません。
ペン芯を、インキ止式やM形吸入方式に特化した形状で設計すれば、インクは極めてスムーズに流れ、インクを止める部分が関門となることはありません。
これが自社でペン芯を製造している理由の一つです。
後部つまみのところを開けるということは、開けた後部つまみのところから空気を送るというような仕組みではありません。あくまでも、軸内からの過剰なインク出をストップするものです。
使わないときにペン芯にインクを供給する必要は無いだろう、というのが、インクを止める装置を有する根本の発想です。後部つまみを閉めれば、ペン芯へのインクの供給が遮断することにより、ペン芯へインクが流れる追い風効果が遮断するされ、ペン先からのインク出が抑制されることが体感頂けます。

インクを止める装置が必要な理由

アイドロッパー方式万年筆を安全に使うために設けられた歴史

結論から申しますと、インキ止式やM形吸入方式万年筆は、インクがたくさん入るので、止める装置が必要なのです。これにプラスして、M形吸入方式では、吸入構造部品を配置するために、インキ止式の構造が誠にうまく機能しています。

万年筆の歴史をひもとくと、最初にご紹介したようなアイドロッパー方式の万年筆が元祖となります。
当時のアイドロッパー方式は、ペン芯が極めて稚拙で、最初にご紹介した商品のペン芯も、以下のようなものです。

エボナイト丸棒の切り込みにペン先が入るだけの構造で、この商品は、ペン芯の固定と、インクの流通を促すことを企図したような銀の撚った針金が入った、少々変わった構造となっています。ペン芯のことを舌になぞらえて「ベロ」と呼び、このような切り込みの入ったペン芯のことを、「両ベロ」「割りベロ」と呼ばれました。
初期の万年筆の多くはこのような、単純な構造で、使っていると、容易にインクが漏れてしまい、書いているときも、インクが紙上に出てしまうこともあります。
このような両ベロ万年筆にインクを止める装置を設け、インクが容易に出ないようにしたのが、インクを止める構造を設けた商品が開発された端緒となります。
その後、ペン芯は改良されていき、戦前でも、テコ式といったような、インクを止める装置が無い万年筆も多く発売されていました。
現代では、ペン芯が良くなっているので、両ベロの頃のようなインク出の不安定さはないものの、以下のような理由からインクを止める装置を設けた万年筆は、存在意義を持ち続けています。

進化したペン芯のもとでのインクを止める装置の存在意義

インクが軸の中にたくさん入るということは、インクが少なくなったときには、軸の中は空気のほうが多くなります。

空気は液体であるインクと違い温度によって膨張します。
インクが少ないときは、温度変化で過剰にインクが供給される恐れがあります。
特にピストン吸入式やインキ止式のような商品は、軸の内壁に直接インクが入るため、手の温度が軸素材を通じてインクに伝わりやすいです。
この点カートリッジ・コンバーター方式の場合は、軸とカートリッジ等の間に空気の層ができるので、軸表面の温度はカートリッジ内部のインクや空気には伝わりにくいです。このため、軸とインク室との間に空気の層がある、カートリッジ・コンバーター方式のような構造ならば、軸素材が金属であっても何の問題もないのです。
過剰供給は、軸内のインクの量が多ければ起きません。インクを補充すれば良いのですが、それができないときに、後部つまみの操作で、インクの過剰流出を回避できるというわけです。
これは、車でいうなら、 AT車の1・2レンジのようなもの、つまり、坂道(=インクが少ないとき)意図的に12レンジ(=後を閉めて完全に出を止める)にしないとエンジンブレーキ効果がないのと同じという説明がわかりやすいでしょうか。
インキ止式の後ろを閉めることは、AT車のPレンジのようなものです。サイドブレーキがあっても、Pにすれば、機械的にロックするのでより安心。インキ止式万年筆は、過剰インクをペン芯にため込む機構(=AT車のサイドブレーキ)にプラスして機械的に出を止める(=AT車のPレンジ)機構が配置できます。中芯があるからこそできる構造であり、カートリッジやコンバータを含むピストン吸入タイプは、中芯が無い以上、構造上同様の機構を設けたくても出来ないのです。
インキ止装置は、もともとは、稚拙な構造のペン芯が装着されていた時代の万年筆に必要な構造でしたが、現在のペン芯では、当店のペン芯も含めて、かなり進化した制御ができるペン芯になっているので、インク出をストップする機構は無くても通常の使用には問題ないことも多いです。ペン芯の基本的な仕組みは、発明された頃と変わりませんが、構造はとても進化しました。
先の例示で言うと、ペン芯(サイドブレーキ)がかなり進化しているというわけです。その上で、インク止部(Pレンジ)が存在する意義は、入るインクの量がそもそも多いことや、操作のおもしろさからも、じゅうぶんにありますし、M形吸入方式の実現には必須の構造となります。
インキ止め構造はいわば、「後ろのキャップ」と言えるかもしれません。それも、軸内からインクが流出するペン芯の最後部を遮断するのですから、絶大な安心感です。後ろさえ閉めれば、ペン先を下にして保存しても何の心配もいりません。このような点は、インキ止構造のある商品のみのメリットです。
軸からインクが出ないという安全設計以上に、後部を閉めておけば、軸内部のインクは濃くなったり、乾いたりすることはないので、より有利とも言えます。

当店の商品では

上記がインクを止めることの実際とその後説明ですが、現代の進化したペン芯では、かつての商品のような不安定さはありません。
当店のM形吸入方式万年筆の場合、軸の中のインクの量が少なくなっても、後部つまみを普段通り開けたままご使用いただいて問題が出ることはあまりありません。
使用しないときも、後部つまみをつねにあけたままで保管されているお客様もいらっしゃいます。